日記・コラム・つぶやき

2012年9月 1日 (土)

よくばりな犬

Zenkei

『よくばりな犬』

肉をくわえた犬が、橋を渡っていました。

ふと下を見ると
川の中にも肉をくわえた犬がいます。
犬はそれを見て、思いました。

「あいつの肉の方が、大きそうだ…」

犬は、くやしくてたまりません。

「そうだ、あいつをおどかして、あの肉を取ってやろう」

そこで犬は、川の中の犬に向かって思いっきり吠えました。

「ウゥー、ワン!!」

 そのとたん、くわえていた肉はポチャンと川の中に落ちてしまいました。

「ああー…」

川の中には、がっかりした犬の顔が映っています。
さっきの川の中の犬は、水に映った自分の顔だったのです。

同じ物を持っていても、人が持っている物の方が良く見えます。
そして、欲張ると結局自分が損をするという…これは、そんなお話。

Meetmist
ガタタタタン ガタタタタン…

顔を上げると
河川敷の藪の間の鉄橋を電車が走り抜けていくところだった。
暑い日が続いて、それはもう

「今年の冬は来ないんじゃないかな…」

なんて思う事もある。

けど季節は
人みたいに腰を上げるのを億劫がっていても
必ず仕事をこなしていくんだ。

春を憂いて 夏を凌いで 秋を祝って 冬に眠る
その光景を 意識・無意識に関わらず何度も見てきた。
見てきたはずなんだけど いつも季節の移ろいに心奪われる。

Tiltmeet

川原に大きな玉石がゴロゴロしている。
小学生の頃は 公園よりも川が主な遊び場で
たくさんの石を積み上げて川を塞き止めようとしてみたり
本気で石の家を作ろうとしてみたりした。

日射しが照りつける川原の石は攻撃的だ。
裸足で歩いていると足の裏がジリジリする。
それに歩きにくい…
思い出が風鈴の短冊のように風に泳ぐ。

Meetup 

「あれ…なんだろう?」

橋から見下ろした川原の景色になんだか違和感…

真っ赤な 真っ赤な 高級そうな霜降り肉
…みたいなレンガ製の遺物が2か所。

向こう側に見える鉄橋脚の先代だったのだろう。

完全撤去じゃなくて 大雑把に解体したらしく
土台だけが残されたみたいです。
ここは何度も通ったけど初めて気が付いた。。。

増水時の川水に洗われて角が取れたから
霜降りのステーキ肉みたいな感じがするね。

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そうだ
イソップ童話の「よくばり犬」が落とした肉が
川原に流れ着いたみたいにさぁ。。。

そんな感じしない?

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2012年8月21日 (火)

廃墟を活ける。③

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“廃墟” は 『滅び』 なのだろうか それとも 『死』 なのだろうか。

不老不死を望んで 返って死を早めた始皇帝という人が昔いたそうだね。

『国破れて山河あり…』 山や川は滅することなくそこに残る。

「山は死にますか─」 そんな歌を聴いた覚えがあるよ。

人は どこか不老不死を望みながら それはかなわぬことだとも悟っている。

だけど

手塚治虫の『火の鳥』

古いSF映画で『未来惑星ザルドス』という

不老不死の無意味さを説いたお話があるんだよね。

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小学生の頃だったか…

不思議なもの好きな友達が 友だちが『ムー』を毎月買っていて

興味本位で読んでたら おそろしい予言ばかり載っていたので

生きていくのに悲観的になっちゃったことがあったんだよ。

うーん…(゜_゜>) 物事をストレートに受け止めすぎるんだな。。。

そんな私が『廃墟好き』になっちゃって

これはいったいどうしたことなんだろうヽ(´o`; 

なぁんて思うこともあるよ(@^▽^@)

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興味はなかったにしても 『廃墟』に感動することって あるよね。

いつかは滅びの禍の中へ行くものの

嘆き あるいはただ静かに沈んでいく姿が

涙も 叫びも超越したようで

節操のない雑木にまみれながらも動じることなき遺構の姿。

そこに ホントに超越した神々しい何かを感じるのかもしれない。

生老病死の世の中に嘆いて

人々をその苦しみから救いたいと願ったお釈迦様も

終の日は 超越すべき 『死』 をただ静かに迎えたのだそうだ。

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『廃墟』 で感じる時間は とてもとても静かで 緩やかなんだ。

のんびり屋の私が そこを歩いていると

とてもセカセカしているように思えてくるんだよ。

なんだか寡黙に長時間露光している廃墟師匠が仙人に見えてきたよ。

哲学的というのは ひょっとすると こういうことなのかな…(・3・)

ちょっと そんなこと考えてみたりもする。

Tiltshift

そういえば この廃墟…

すこしばかり造作的なこの様子が哲学的にも見えたりするんだ。

白く朽ちるコンクリート そこにまつわり着く蔦

雑草に領地を犯させることなく 平に刈り込まれた芝

自らを誇示しすぎることなく 小さく花を点ける低木

そして蒼い空と そこを自在に泳ぐ雲

昨日と同じ空は無くて 今日流れていった雲には二度と会うこともない

季節は幾度も巡るようだけど

それは大きな輪っかなんかじゃなく ただただ繰り返す1本道

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さあて さあて

限りあるものの景色見上げて

これからどんな風に生ききってやろうかと思った。

廃墟は 決して滅びているのではなく

活けられている

私も そしてあなたも 活けられているのです

この盆景の上で他愛なく (#^.^#)

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                        そうなんだ

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2012年8月 7日 (火)

廃墟を活ける。②

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庭は「廃」がとても多い。

廃線の枕木はと元よりアンティークレンガや流木
今はあまり見なくなった木の電柱
使い古した椅子
欠けた水瓶 古い酒瓶 壊れかけた自転車 etc..

割れた鉢でさえも日曜ガーデナーは巧みに庭のアクセントにしてゆく。。。

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プロのガーデナーのデザインの影響もありますが
身近にある素材を利用するバリエーションは、その家々のセンスで如何様にも変幻するのです。
新しい命が「生」を
讃えて咲き誇る中、ひとつの香辛料として、その存在を置くことが返ってその場を更に映えさせるのかもしれません。

ポップアートや現代芸術の作家が生活(日常)に近しいものを素材とすることで現代社会を写しとるように庭においてはノスタルジアでありながらも更なるドラマチック性を持たせるために使っているように思えるのです。


意図的に あるいは無意識に 血の記憶も担って。。。

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廃墟も寒々しい雪原に佇む姿や
雪の重さに倒れた枯れススキに囲まれて
ただ乾いて、退廃的なイメージの冬から初春にかけての姿よりも
緑が産して遺構を覆い尽くさんとする景色…
コンクリートの古城の中、スポットライトのようにわずかな光が注ぎ込む光の中でひ弱ながら何か希望に満ちたかのように新芽が伸び上がる様子
私はそういうものが好きなのです。

Dsc07971もちろんそれは、人それぞれなことです。

それはそうなのだけれど
闇があって光は映える
涙があって喜びに感嘆する
寒々しい冬があるから春が萌えさかる


人に捨てられて、もしくは忘れられて「廃墟」です。
でも本当の意味での廃墟は、いかほどあるのだろう。。。
鉱夫が去った鉱山(ヤマ)、子どもの消えた学び舎
そして、くつろぎと癒しを人たちの来なくなったホテルや旅館。


ここにある廃墟もまたホテル跡です。
しかし、少しばかり様子が変って感じられたのは
その景色があまりにも造作的だったからでした。

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この廃墟は何らかの形で命を持たされているのです。

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2012年8月 1日 (水)

廃墟を活ける。 ①

海から、それほど離れてはいないのに
そこはもう、どこまでも続きそうな緑の海です。

深い渓谷も上から下まで緑一色で
まるで大海原がパックリと割れているようだ。

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海原の如き樹海に漂う切れた釣り糸のごとき道
頼りなき筋なれど、そこに沿うように進む小さな小さな車。
あるときは群れて またある時は孤独に浸りながら
その道へも緑色の汐はザワザワと打ち寄せる。

緑海の中、筋道がより所にするように浮島が点在する。

Dsc07944古きもの 新しきもの
覚えているもの 忘れたもの

見飽きたもの 目を引くもの

時の流れに磨かれて
光沢の光を放つものあれば
ただ削られていくばかりで
小さく惨めに干からびていくものもある。

写真と記憶は薄れていっても
思い出のあの場所は
むしろ色濃くなっていくんだよ。
思い出して欲しいのか
終の時目指してゆっくりと自らを作り替えていくみたい…

血のように赤く
血管のように筋目立たせて…


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疲れきって、魂が抜けたみたいに静かで、乾きすら超越した遺構に
それとは反対の
鮮やかに色づく命の象徴のような緑が包んでいく様は
傷を癒そうとするみたいにも感じられる。

緑の海の中
沈む船のように小さく見え隠れしている。
やがてあの赤い塔も 緑色の大きな屋根も樹海の中で本当の遺跡になるのだろうか。

景色が急に開けた。
すでに虫の息と思えるものがそこにありました。
それでも、どこか生き生きして見えることに
なにか
微妙なさじ加減に思えたのです。

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2012年1月15日 (日)

ぼっちの凸

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 北海道帯広市 むしろ十勝と言ったほうが北海道外の方には通じるようですが、十勝の中心都市です。
 この帯広市の西部に大きな植樹林と運動施設の広がる『帯広の森』がある。
かつては、市郊外と同じく畑作風景の広がる土地でしたが、数十年の時を経て現在の形になりました。

Photo_2  「帯広の森」の構想は、第五代市長の吉村氏が提唱。昭和34年に策定した市総合計画のなかでは、グリーンベルト的な考えが包含されていました。

 昭和44年、市長がオーストリアを訪問し、そこで『ウィーンの森』に出会ったことから「帯広の森」の構想が具体化する。広大なウィーンの森とそれに共生するウィーン市民に大きな感銘を受け、昭和45年に帯広市第2期総合計画策定審議会を発足させ、「帯広の森」構想を発表しました。 そして、昭和46年4月に策定された第2期帯広市総合計画において、「森」はまちづくりの主要な施策として明確に決定されました。その後、市議会での激しい論争、市民の気運の高まりなどを経て、事業がスタートしました。

 現在の形になった森は面積406.5ヘクタール、幅が約550メートル、延長は11キロメートルの規模で、北部を流れる十勝川や東部を流れる札内川と連携して市街地を包み込むように配置され、憩いの場、学習の場、交流の場、スポーツの場などとして、多くの市民に幅広く利用されています。
 昭和50年から市民植樹祭を開催し、平成16年まで30回、14万8千人が参加で23万本を植樹、平成3年からは育樹祭も開催、平成17年までに15回、のべ1万3千人が参加。

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Photo_4  初期の植樹林は、すでに大きく成長して、まさに森にふさわしい様相になりました。
林の中に設けられた遊歩道は、夏場のウオーキングや犬の散歩、冬は、トライアスロンスキー等で体力づくりの人たちが耐えません。
木漏れ日を浴びながら歩いていくと、時折バラバラとヘリコプターの音がしてくる。
森の切れる向こうには自衛隊の飛行場があるからです。
この飛行場、以前は市の空港でしたが、歴史を遡ると日本軍の飛行場であったそうです。

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 現在は森となった植林地ですが、ひと昔前は、まだ畑で昭和56年頃の空中写真を見ると一帯は、まだパッチワークのような景色の畑作地。植林は始まっていた頃とはいっても森といえる部分は乏しい。
戦後に飛行場周辺の土地は、民間に払い下げられ、1974年頃、森の構想で買い上げられるまで実りの大地となっていた。

そこにこの『掩体壕(えんたいごう)』がある。戦時中は全部で46基あったという。

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 掩体壕は、主に航空機(戦闘機)を敵の攻撃から守るための格納庫で、通常は、コンクリート製のかまぼこ型をしており、内部に航空機を収納する。簡易なものは爆風・破片除けの土堤のみで、天井がないものもある。
 ここの壕は小型のもので、翼を広げた飛行機がすっぽり入る凸型をしている。
十勝管内で掩体壕と呼ばれるものはいくつか残っていますが、飛行機ではなく軍事物資格納用に高台下に掘られた洞穴のようなものがほとんどで、飛行機用のトーチカを思わせる構造物は始めて見た。

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 この土地を所有していた方は、入植当初、この壕に木材で屋根を取り付けて住み、住居を建てた後も壕を倉庫として利用し続けて取り壊さなかったそうだ。
実際、46基あったものは、耕作のジャマになるためにほとんどが破壊された。
当時は屋根の跡と思われる鉄骨があったほか、中央部に車輪が通った跡もあり、実際に飛行機が格納されていたらしい。

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 -17℃を下回る今シーズンの最低気温の朝、掩体壕を見に来た。
脇の幹線道路を通る通勤の車から壕は明らかに視界に入るはずだけど誰も目もくれない。
広い空と広い大地。そこにまんべんなく降り積もる雪。
そして憩いの森。

のんびりできそうな要素は充分にそろっていても、人々はとても忙しいのだ。

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2010年9月12日 (日)

見通せる壁

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壁は空間を小分けするものだ。
そして社会を細分化していくものにも思える。

空間の分割は、そこに隣とは異質な空間を形成することを可能にする。

凍てつく夜に春を置き、酷暑の日向も軽くする
漆黒の夜を光で照らし 雲ひとつ無い青空の下、影を閉じ込める

土の壁 石の壁 レンガの壁 コンクリートの壁 鉄板の壁

壁は塗り固めて具象化した構造物だけではなく
個々の心の中にも壁ができる。

何者も通さぬ壁 選んだものだけを通す壁
自分を幽閉するための壁 本当の自分を晒さないための壁

比喩的にあらわされる壁は
信念の強さと自分の弱さと、両極端なものになる。
とにかく壁は、中のものか外のもののいずれかを守ることに代わりはないようだ。

ここにひとつの壁がある。
かつて産炭地として賑わった町の追憶の壁
大きな鉱床のあちこちに開けられた穴の中、壁が築かれ崩した壁を地上に掘りあげる。
地上にも多くの壁を持つ施設が作られて、掘り出した壁を分類して壁の中に格納して運ぶ。

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壁はまた壁を運び、新しい壁を築く
小さな壁の群れが石畳のように地上を埋めていく
壁は時代を作り、歴史を壁のごとく積み上げていった。

高く高くなった壁、やがてその高さゆえに崩れるがごとく全てを丸め込んで小さくなった。
具象化した壁はその意義を失い、新たな時代の壁を築くために開放され、あるいは古の壁として緑の壁の奥深く幽閉される。

失われた壁は、全て新しい壁に取って代わられたわけではなく、そのなかで暮らした人々の記憶を固定する器として生き続けた。

記憶を守る壁 想い出を格納する壁 悪夢を隔離する壁

失った壁 手に入れた壁
己を失った壁がゲシュタルト崩壊していく…

この壁は記憶の蓋ではない。
元は四角四面の壁を持つ選炭施設の壁の1枚だったそうだ。
町の歴史を振り返る人にとってこの壁は記憶の壁を開くための白昼幻灯機のスクリーンなのかもしれない。

そう、劇場のスクリーンも壁だ。
壁は、その向こうにある何かを見えなくするものではなく、むしろその向こうにあるものを実感させるものに他ならない。

きっとそうなんだと思う。

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北海道東の採炭の歴史は北海道内でも古く「開拓使事業報告」という記録によると、安政3年、幕府が初めて獺津内(オソツナイ)の石炭をほりはじめたのが始まりとされる。
当時はまだ「石炭」という言葉がなく、「媒炭(ばいたん)」と書かれていたそうだ。

本格的に石炭が掘られるようになるのは安政4年、箱館(函館)に来る外国船の要望に応じるためであり、また箱館奉行も鉱物の精製のために石炭による燃料確保を求めていたからである。

やがて採炭地が岩内の茅沼へ移され、白糠の採炭は元治元年(1864)に中止されることとなる。
この幕府の採炭はみずから消費するのではなく流通商品として売買されるものであった。実際の炭田の開発は明治20年、硫黄の製錬の燃料、輸送の汽車・汽船の動力源として産業資本により進められた。

新白糠炭鉱は、昭和21年、再び石炭資源が脚光を浴び、現在の通称『石炭岬(実際には「石炭崎」と呼ぶ)』の鉱脈を採炭するため営業をはじめ、昭和39年まで採炭が続けられた。

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現在、白糠町で産炭地を記念して操業時の選炭場の壁に碑板を埋め込んだ『新白糠炭鉱創操業地記念碑』(平成8年)を建立した。

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2009年11月23日 (月)

里帰り

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Dscf3940 アタイはブキミちゃん
北海道道東の津別町相生にある極楽美術館『シゲチャンランド』で生まれました。生みの親のCoCoママは、シゲチャン(大西重成氏)といっしょにたくさんのクセのある子ども達の面倒を見て、ショップの切り盛りをしている。
そんなCoCoママは、私を生んだのを
『発作的に…』とか照れくさそうにしているけど、もらわれ先の家の人に『あの子、どうしてます?』と聞いたりしてやっぱり気になるようだ。
そんなわけで、今年のシゲチャンランドのシーズンが終わる前に里帰りしてみることにした。

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駐車場にあるタワーです。なんだか盆踊りのやぐらみたいだね…と言われることも

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この時期にしては暖かい日です。昨日まで秋恒例の「テントウムシ」の襲来があったんだって。今日はテントウムシも中休みだったらしいよ。

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壁際にいるのがヒョウタン親父。頭が暑くなったのか日陰でのんびりしてる。

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ヘッド(頭)ハウス うーん落ち着くね… 時には頭を休めるのも必要。

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ここはネック(首)ハウス。中はカエルでいっぱい!アタイは入れそうだけどさ。

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スキン(皮膚)ハウス。シゲチャンの撮った写真でいっぱいだ。

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アイ(目)ハウス。ランドでもクセの強いのが並んでます。

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ノーズ(鼻)ハウス。一番大きな家。背の高いのがたくさんいる。

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他にもいろんな家があるけど、ここはアタイの実家。CoCoハウス。アタイの仲間や素敵なアクセサリーがいっぱい
あーっ帰るのがメンドになってきたなぁ…

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『街の時間は、とっても早いよ。生き物みたいに走ってくのさ』

『へぇーっ大変なんだなぁ…』

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『みんな変わりなくて安心したよ』

『変わっていく人間のほうが面白いけどね』

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ランドは11月から翌年の5月頃まで冬ごもりです。
北海道の春は少し遅いけど会いに来てね。
人間観察の大好きな『ヤツラ』がたくさん待ってます。
詳しくはシゲチャンランド公式ホームページ

シゲチャンランド ガイドブック Book シゲチャンランド ガイドブック

著者:大西 重成・著,梅 佳代・写真,小倉 孝康・文
販売元:リトル・モア
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2009年10月31日 (土)

ボクだけのお城

点々と生えてるフキノトウがなかったら寒々とした初冬の風景。
それほどに荒廃してカラカラに乾いた家は3Dから2Dに変貌しかかっている。
赤錆と木目浮き立った古板の色どり
雑草の屍が最後の日のまま立ちつくして、次の世代を虚ろに見続けるだけ…
ここは、過酷ながら戦闘とは無縁な風景─

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アラサーとかアラフォーとかいうくくりにまとめられる世代
その少し前も後にずーっと続く世代も戦闘など知らない。
「競う」という意味での「戦い」は別として。。。

Dscf4658 しかして世の中
どんなものにもマニュアルがあって家電やソフトは言うに及ばず、生まれることも死ぬことにも探せば何かしらのマニュアルがある。
既製品じゃないのに既製のマニュアルに形を合わせてるみたいだ。
雑誌もマニュアルの一種ですね。
自分探し 自分づくり 自分試し 自我崩壊 自我侵略。。。
読んでいる雑誌で、そのひとなりが見えてくるから、やっぱりマニュアルなんじゃないかなぁ。それが悪いとは言わないけど。。。

「そういうお前は、どんなん読んでる?」

と聞かれたら

「週刊ダイヤモンド」と「Theいけのぼう」と「詩とメルヘン」と「ふぁんろーど」…

と ツッコミを期待して言ってみる。

「ふーん…なんだ…」

おいおいっ!

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Dscf4659正直雑誌は読まなくなった。今は「Soup」くらい。以前は5誌くらい買ってたことがある。
「Fine」「Doll」「アニメージュ」を重ねてレジへ行ってた頃が懐かしいです。(それにしてもメチャクチャなチョイスだ。。。)
ちなみにアニメージュを読んでいたのは、アニメーションに傾倒したわけでなく、回りがアニメーション啓蒙者が多かったからです。(マンガ描いてたけど)
コミュニケーション手段としての知識を得ようとしてね。
いまや社会を支える世代の中心になっていると人たちは、すでにアニメやゲームの洗礼を留まることなく受けて育ってきました。昔の人の言い方なら「戦争を知らない子どもたち」

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Dscf4670 潰れかけた家の隙間からたくさんの雑誌が覗いていた。
重ねて紐で縛ってあるのやカラーボックスに月順にきれいに並べてあるもの、その全てがアニメ雑誌。
プラモデルの箱やアニメソングのシングルレコードを裸で壁に飾ってあったり。。。
今ほどアニメーションの地位が確立されてたわけでもなく、まだ「オタク」のレッテルを貼られていた頃。 それはともかく人の趣味です。自分の城です。

会わなくなって久しい人が「俺の武器はエアロスミスだ!」と豪語してたことを思い出す。
CDを手裏剣みたいに投げたりするわけじゃなく、エアロスミスに関することなら誰にも負けないという自負だったのでしょう。エアロスミス以外のロックを聴いたら魂が腐るくらい言ってた。
気のせいか見た目もスティーヴン・タイラーみたいだった。
そんな彼にも自分の城とも言える部屋があって、占い師の店みたいだなぁ。。。という印象で、ワンルームの部屋の真ん中にいると玄関がどっちかわからないほどドクロとか色々ぶら下がってました。

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主が街を去っていくとき、部屋もいっしょについていくみたいにキレイに片付いた。

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部屋がそこに残されたとき
それは、主に大きな変化があったということ。
ロマンとリアルを共存させるのは、やはり難しいのだろうか?
そうは思いたくないけれど、残されるものがいるのは確かなことです。

エアロスミスで武装した男が街を去る日に現物大の大きなドクロの灰皿をくれた。
信長ぢゃないってっっ どうすれっちゅーの

とりあえず物置の奥深くに埋葬(?)
まさに思い出の亡骸

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2009年10月 1日 (木)

『Ruin Driver』 始めます

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みなさま はじめまして
そして 『Ruin Drop』ご愛顧の皆々様『Ruin Driver』もよろしくお願いします。

「ルイドロ」を始めてもうすぐ3年。
昨年頃から容量危機に直面して「どうしたものか。。。」と思案していましたが、ブログ分離という形でなんとか悩みのタネを脱することができました。

そもそも ねこんは、こうして3年近くもブログを続けているにも関わらず
Web全般、さっぱり分からずで、よくやってこられたものですね。
近頃、ようやくバナーリンクの付け方を理解できてきたくらいですから。
ここに「ルイドラ」を据えるまでは、他社のブログを模索していましたが、どうにも『ココログ』が染み付いてしまっているようで、元の鞘に戻りました。
過去記事の検索など若干の不親切さも拭えませんが、そのうちゆっくりゆっくりと良いものを見つけて修正してみたいと思います。

とりあえずテキストが『ルイドロ』の要ということで。。。
要といえば、ねこんは学生時代マンガを描いてたとき『要(かなめ)』というペンネームだったなぁ。。。Gペンとかスクリーントーンをやたら買い込んでガリガリ描いていたっけ。
向上心が希薄だから、たいしたモノにもならなかったけど。。。

思えば『ルイドロ』も巷でブーム化していた『廃墟系』の後発組の隅っこで始めました。
仲間であり、廃墟の師匠でもある『北海道廃墟椿』のカナブン氏が『ものの見方』を教えてくれたのだと思っています。
もっとも、師弟といってもねこんは、たいしたカメラも持っていないし、写真の腕の向上心も無いに等しいのが玉にキズ。

ものの真意や内なる姿は、表面では計り切れないものです。
もちろん、表面がものも言いますけどね。
何かを表現する手段としての『廃墟』であって『廃墟』でならなければならない理由は特にありません。

とりあえず部屋の中で真っ白な画用紙を広げ『さぁ!何を描こう』と気張って腕を組むよりも描くものを探しに行ったほうが早いのです。
そこで探し出したものは、五感を通して自分のちっぽけな経験と知識に何らかの呼応をして何かが心の中に芽生えた。。。そんな感じ。
『ルイドロ』の変化は、それなりにスタイルかなぁ。。。という変わり方をしていって、自分なりに理想的な形になってきているとは思います。

ここにおいての『廃墟』は終点ではなく、出発点です。
煤と錆にまみれた『夢の跡』が心になにか産み落としていったのなら、そこは既に廃墟ではありません。
確かに一見薄気味悪かったり、いわくありといった場所もあるにはありますが、
そういう場所で敢えて恋とか夢とかの話をしてみたいとか思うわけです。

そこはそれ、ねこんが単にひねくれているだけだから。。。
そういえばマンガかいてた頃のPNは『敢邪要』といいました。

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