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2012年8月

2012年8月21日 (火)

廃墟を活ける。③

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“廃墟” は 『滅び』 なのだろうか それとも 『死』 なのだろうか。

不老不死を望んで 返って死を早めた始皇帝という人が昔いたそうだね。

『国破れて山河あり…』 山や川は滅することなくそこに残る。

「山は死にますか─」 そんな歌を聴いた覚えがあるよ。

人は どこか不老不死を望みながら それはかなわぬことだとも悟っている。

だけど

手塚治虫の『火の鳥』

古いSF映画で『未来惑星ザルドス』という

不老不死の無意味さを説いたお話があるんだよね。

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小学生の頃だったか…

不思議なもの好きな友達が 友だちが『ムー』を毎月買っていて

興味本位で読んでたら おそろしい予言ばかり載っていたので

生きていくのに悲観的になっちゃったことがあったんだよ。

うーん…(゜_゜>) 物事をストレートに受け止めすぎるんだな。。。

そんな私が『廃墟好き』になっちゃって

これはいったいどうしたことなんだろうヽ(´o`; 

なぁんて思うこともあるよ(@^▽^@)

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興味はなかったにしても 『廃墟』に感動することって あるよね。

いつかは滅びの禍の中へ行くものの

嘆き あるいはただ静かに沈んでいく姿が

涙も 叫びも超越したようで

節操のない雑木にまみれながらも動じることなき遺構の姿。

そこに ホントに超越した神々しい何かを感じるのかもしれない。

生老病死の世の中に嘆いて

人々をその苦しみから救いたいと願ったお釈迦様も

終の日は 超越すべき 『死』 をただ静かに迎えたのだそうだ。

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『廃墟』 で感じる時間は とてもとても静かで 緩やかなんだ。

のんびり屋の私が そこを歩いていると

とてもセカセカしているように思えてくるんだよ。

なんだか寡黙に長時間露光している廃墟師匠が仙人に見えてきたよ。

哲学的というのは ひょっとすると こういうことなのかな…(・3・)

ちょっと そんなこと考えてみたりもする。

Tiltshift

そういえば この廃墟…

すこしばかり造作的なこの様子が哲学的にも見えたりするんだ。

白く朽ちるコンクリート そこにまつわり着く蔦

雑草に領地を犯させることなく 平に刈り込まれた芝

自らを誇示しすぎることなく 小さく花を点ける低木

そして蒼い空と そこを自在に泳ぐ雲

昨日と同じ空は無くて 今日流れていった雲には二度と会うこともない

季節は幾度も巡るようだけど

それは大きな輪っかなんかじゃなく ただただ繰り返す1本道

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さあて さあて

限りあるものの景色見上げて

これからどんな風に生ききってやろうかと思った。

廃墟は 決して滅びているのではなく

活けられている

私も そしてあなたも 活けられているのです

この盆景の上で他愛なく (#^.^#)

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                        そうなんだ

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2012年8月 7日 (火)

廃墟を活ける。②

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庭は「廃」がとても多い。

廃線の枕木はと元よりアンティークレンガや流木
今はあまり見なくなった木の電柱
使い古した椅子
欠けた水瓶 古い酒瓶 壊れかけた自転車 etc..

割れた鉢でさえも日曜ガーデナーは巧みに庭のアクセントにしてゆく。。。

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プロのガーデナーのデザインの影響もありますが
身近にある素材を利用するバリエーションは、その家々のセンスで如何様にも変幻するのです。
新しい命が「生」を
讃えて咲き誇る中、ひとつの香辛料として、その存在を置くことが返ってその場を更に映えさせるのかもしれません。

ポップアートや現代芸術の作家が生活(日常)に近しいものを素材とすることで現代社会を写しとるように庭においてはノスタルジアでありながらも更なるドラマチック性を持たせるために使っているように思えるのです。


意図的に あるいは無意識に 血の記憶も担って。。。

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廃墟も寒々しい雪原に佇む姿や
雪の重さに倒れた枯れススキに囲まれて
ただ乾いて、退廃的なイメージの冬から初春にかけての姿よりも
緑が産して遺構を覆い尽くさんとする景色…
コンクリートの古城の中、スポットライトのようにわずかな光が注ぎ込む光の中でひ弱ながら何か希望に満ちたかのように新芽が伸び上がる様子
私はそういうものが好きなのです。

Dsc07971もちろんそれは、人それぞれなことです。

それはそうなのだけれど
闇があって光は映える
涙があって喜びに感嘆する
寒々しい冬があるから春が萌えさかる


人に捨てられて、もしくは忘れられて「廃墟」です。
でも本当の意味での廃墟は、いかほどあるのだろう。。。
鉱夫が去った鉱山(ヤマ)、子どもの消えた学び舎
そして、くつろぎと癒しを人たちの来なくなったホテルや旅館。


ここにある廃墟もまたホテル跡です。
しかし、少しばかり様子が変って感じられたのは
その景色があまりにも造作的だったからでした。

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この廃墟は何らかの形で命を持たされているのです。

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2012年8月 1日 (水)

廃墟を活ける。 ①

海から、それほど離れてはいないのに
そこはもう、どこまでも続きそうな緑の海です。

深い渓谷も上から下まで緑一色で
まるで大海原がパックリと割れているようだ。

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海原の如き樹海に漂う切れた釣り糸のごとき道
頼りなき筋なれど、そこに沿うように進む小さな小さな車。
あるときは群れて またある時は孤独に浸りながら
その道へも緑色の汐はザワザワと打ち寄せる。

緑海の中、筋道がより所にするように浮島が点在する。

Dsc07944古きもの 新しきもの
覚えているもの 忘れたもの

見飽きたもの 目を引くもの

時の流れに磨かれて
光沢の光を放つものあれば
ただ削られていくばかりで
小さく惨めに干からびていくものもある。

写真と記憶は薄れていっても
思い出のあの場所は
むしろ色濃くなっていくんだよ。
思い出して欲しいのか
終の時目指してゆっくりと自らを作り替えていくみたい…

血のように赤く
血管のように筋目立たせて…


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疲れきって、魂が抜けたみたいに静かで、乾きすら超越した遺構に
それとは反対の
鮮やかに色づく命の象徴のような緑が包んでいく様は
傷を癒そうとするみたいにも感じられる。

緑の海の中
沈む船のように小さく見え隠れしている。
やがてあの赤い塔も 緑色の大きな屋根も樹海の中で本当の遺跡になるのだろうか。

景色が急に開けた。
すでに虫の息と思えるものがそこにありました。
それでも、どこか生き生きして見えることに
なにか
微妙なさじ加減に思えたのです。

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