ヘンゼルとグレーテル ①
「わーっとっとっとと…」
「ナギサーン…危い着陸だしな。落りゃあ石ころかて粉々になりるやす」
「そ…そんなこと言ったってさ…こんな小さいところに降りるの大変なんだよーっ」
「そんに小さなとこすかなぁ…」
私はナギサ。名乗るほどでもない普通の幽霊の女の子。
風に乗って、あちこちへと風任せの旅をしている。
今日は、たくさんの木が生い茂る緑の海をなぞりながらここまで来た。
もうじき日が暮れてくるから泊まるところを探してた。ずーっと樹海を越えて。
近くに街も見えたけれど、人のこないこういうところで適当なところを探すのは大変だ…。今日のところはうまく見つかったけど、森の中に野宿することになるとイタズラなキツネや腹ペコなクマにからかわれることになるから、それは避けたい。
やっぱり屋根や壁のある建物の中のほうが落ち着くことができる。
「今日のとこわ、ここになりあすか?」
「うん…ほかにいいところも見当たらないしね」
「さきほどな、街が見えられたんだがに」
「それは…コロンは、いいけどさ…」
コロンは海沿いの町で出会ったお地蔵様の彫られた石の魂。コロンの名前は私が付けた。
それから一緒に旅をしている。
「人間観察」マニアのコロンと私は正反対。
そのコロンは、人から姿を見られることはないけど、私はチラチラ見られることがあるから嫌なんだ。
体があると普通の人。無くなれば怖い幽霊。
人にとって『死』は恐れに他ならないから、その向こう側のものであるべき私は、まだ生きている人から見ると『恐ろしいもの』でしかないのだろう。
それでも私は、ずっとこちら側にいる。まだこっち側にいなければならないんだ。
だから、なるべく『こちら側のルール』に従わなければならないのだと思う。
私は幽霊なんだから…
「ナギサン、人目辛いなんだば人にさ化ければ良しなに?」
「うーん…じゃ明日ね。明日なら少し良いよ…。久しぶりだし少しくらいなら」
こんな私にも数時間だけ生きている人と同じ姿になることができる力がある。
でも、たった数時間ほどしかその体のままでいられない。
春の大地から立ち上る陽炎
夏の朝、深く吐き出された木々の深呼吸
秋の実りから立ち上る豊かな収穫の芳香
そして冬の陽射しの中できらめく氷の粒
そんな、この地上に溢れる「体を作る元」を寄せ集めて作り上げた借り物の体にすぎないから…。
「わかりったましてや。しかし此処なは大きな根城に見えしです」
「うん。たしかに大きいとこだよ。学校じゃなさそうだし病院かホテルの感じだよね…」
「ナギサン。さっき小さいとこや言ったやねすか?」
「だからあっそれは、そらから見たときの事だって」
「そうでしか?こんだら大きいと下にゃ誰か居るのやもしれねすな」
「うん…そだね。いちお調べておいたほうがいいかも…」
木立が傍まで迫って支えられているみたいな建物。
空から見おろしたときは、滑走路みたいだったけれど、意外と高い建物だったんだ。
いつもは空家とか、橋の下やマンホールなので、こんな大きなところも久しぶりで、まだ少し落ち着けない。
屋上のあちこちは、棘みたいな太い針金がたくさん張り出していて、樹の海に浮かぶ武装した船のようだ。
その異様な感じが落ち着けない原因のひとつなのだと思う。
「ナギサーン!下は、何しろメイロみたなようでな。あてらは先ん行っておりましすから!」
「えっあっ
ちょっと待ってよコロン
」
人がいるかもしれないという私にとっての不安は、コロンにとって期待らしく、ホイホイ下へ降りていった。
風に乗るときは私の左腕に腕時計の姿でしがみ付いてるだけなのに…
私も用心しつつ後を追う…。
あちこちからサボテンみたいに棘を生やした薄っぺらな階段を降りる。
コロンはどこまで行ったのかな…
ふたりでの旅も長いから1人になると不安になってくる。
幽霊になってから、ずーっと孤独だったときは何とも思わなくなってたけど、やはり孤独は辛い。
人に見られるのが辛いと言いながら、人の香りが残る場所の近くをさまよう私は、やっぱり寂しいんだろう。
どうせだったら、人と幽霊が共存できる世の中にならないかなぁ…と思うこともあるけど、そんなことを考えてしまう自分に少し笑った…。
「ナギサン!遅いますや。でかいナリしてるに、なにやら細げぇとこだねや」
ところどころに光の溜まり場を作りながら奥まで真っ直ぐ続く廊下が見えた。
「わーっ、やっぱりホテルみたいだねもしかしたら病院かもしれないけど…」
「なにげで細く分けとりますねや?」
「このひとつひとつが部屋なんだよ。たぶん」
でも、それにしては。まだ何か不思議に殺風景な気がしてた。
「ここなの赤い書いたらありますのは何やでナギサン?」
「これは…字と違うよ。なにかの記号だよ。意味は分からないけど…」
「人はここだで何しますのかいな?」
「何って…旅行だよ。旅の途中で休んだり寝たりする場所」
「人さは寝ないとそんなにダメんなになりにか?」
「そう…休ませてあげないと弱ってしまうよ。私も夜は毎日眠くなってたよ」
「そらメンドなものでしな。ホンに人は不思議にゃモンでだなよ」
廊下の左右にある部屋を順に覗きながら、ふと思い出したことがある。
まだ、自分の体があった頃。
こんな風に大きくて、部屋のたくさんあるホテルか温泉に泊まった時のこと─
自動販売機までジュースを買いに行ったら帰りに部屋がわからなくなったことがあった。
全部同じドアで、開けてみたら掃除道具入れだったりして…???!
そうだ…ドアだよ!
「コロン?ここの部屋にはドアのあるところがひとつもないみたいだよ」
「そうなすか?あては、ども思いやしまへんねやが」
ドアに気が付くと、他のいろんなことにも気が付いてきた。
壁がみんな剥きだしの冷たいコンクリートのままで、壁紙がはがされた様子もない。
部屋の中もガラスの欠片が散らばっていないから、ずっと前から窓は入っていなかったような感じがする。
「ねぇ…?古くなってるようだけど、ここ作りかけなんじゃないかなぁ…」
「そすかな。あそこんらには誰か住んどた跡んもあるましたにが?」
コロンの言ってた部屋には、確かに鍋とか料理に使ったものが転がってる。
埃を被っているので、しばらく前の名残ではあるようだ。
(でも、用心しないと…誰かがいるのかもしれない)
映画の主役になったような気がしてきた。
姿の見えない敵を探して部屋をひとつ、またひとつと確認していく…
こんな大きな建物に来たのは、やっぱり面倒だったかもしれない。
そう思いつつ私もこのゲームにはまり込んでいた…。
「シッ!こっちだよ… あっわわわぁあーっ」
「なしたか?ナギサン?ナギサン!」
「こっちだよ~っ」
「どっちこでか?あれぁ?ナギサンそんなだとこで何してるだか?」
「落ちたーっ…」
あ~っもうゲームオーバーか…。死ぬかと思った…。(幽霊だけど)
こっちを見下ろしているコロンの顔がすごく小さく見えた。3階分くらい落ちたんだな…
どうやら入ったのがエレベーターの部屋にだったらしい。
やはり作りかけの建物だったようでエレベーターの箱もなかった。
「あても、そこいらに落ちたほがいいですかーっ?」
「いやっいいよぉっ
私がそっちに戻るから」
「そこいらはどのようになるてますか?」
「そっちと同じだと思うよ…上よりは広いみたいだけど。階段…どこだろ…」
ここは一番下の階で広く見えるのはロビーだかららしく、さっきの階よりも天井が高い。
湿った泥の流れ込んだ床は動物の足跡に混じって人の靴跡もいくつかあった。
ドキッとしたけれど、そのいずれも新しいものではないようで、人がしばらく来ていないらしいのは、わかる…。
「ナギサンも奇特しはりにますなぁ…」
「あや?ヌシはどちらのモノでっか?」
(つづく)
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