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2009年11月16日 (月)

Roka(濾過)

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旅の宿は、少し寂れた感じがいい。少なくとも自分は、そう思う。
ゴージャスで、冬場でも全く窓が曇ることもない設備。外はイルミネーション輝く別世界。そんな自宅とは隔絶した異国感も良いけれど、過去へタイムスリップしたような感覚を得るのなら決して遠くではない近くの昔から続いているような旅館。食事も近場から採れるような山菜づくしとか川魚のおつくりなんかが良いな。。。

Dscf9330 「ねじ式」とかを描いた“つげ義春”の旅の劇画を読んだことがあるから、なおさらそう思うのかも…。
老舗ではないけれど古びている。それでいて掃除が行き届いて清潔感があるから何ら問題はありません。
テレビもほとんど映らない。持ってきた文庫本も読み飽きてきた。
ロビーの本棚を物色しても2~3年前の表紙がボロボロの少年ジャンプがあるくらい…「もう寝よ…」
ストーブを消すと、すぐに室温が下がってくる…そんな部屋だけど布団の中だと暖かいから、ずーっとヤドカリみたいにしている。
照明も立ち上がって消さなければならないのがちょっと難儀。(壁スイッチもいっしょだけど)
小玉ひとつ灯る暗がりに目が慣れてくると天井の越年の黒ずみが何かに見えてきて「もしかして、いわくありの部屋?」なんてことも頭によぎってしまい、部屋の雰囲気も相まって当然不安な気持ちがよぎってくる。
そういう気持ちになるのは、小さいころのひとり寝の記憶なのかもしれない。
Dscf9319 そんなときに限って、部屋の温度が下がっていくのに合わせて天井裏の方から「ピシッ」と柱の鳴る音が建物の端から端へ走っていく。
もちろん「いわく」なんかないところだけど部屋の造り以上のものが部屋に染み付いていることは確かで、それが畏怖の念を呼び臆すのでしょう。
「恐れ」は外から来るものなのか、内から膨らんでくるものなのだろうか?
そんな哲学的な気持ちに囚われるのも部屋の持つ雰囲気なればこそ。

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そういうところが、好きだから好き好んで「置き忘れた景色」、いわゆる「廃」なるところを求めるのだろう。
器のこだわりは、決してない。
ただ、自分をその場に置いてみて、自分の感情の変化を楽しんでいるといった方が正しいことには、かわりない。
「旅」とはそういうものだと私は思う。

Dscf9320 そんな記憶の覚醒遺伝みたいなことが楽しくて短い旅を繰り返す。
もちろん行けるところは高級アンティークというより、使える和骨董という感じが限度です。
そんな旅先が不況とか経営者の引退や施設の老朽化で閉められるのは寂しいものです。
そこまでいかずとも施設を取り壊して新築というのもいただけない。
記憶がリセットされてしまったみたいだから。

旅館が閉められ、固く閉ざされた戸口に雑草や山菜がわんさと詰め掛け、越年以上に鬱蒼としてくる。
記憶にも鍵をかけられたみたいです。
建物が残る限り、記憶は消えることはない。
ここで言う記憶は、歴史に記すことのできない感覚的な記憶です
その記憶の再生装置は、自分自身で再生結果は個々の持つ記憶とのシンクロによって様々に変わるのです。

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踏みしめるごとにキュッキュッときしむ角の取れた階段
風の手触りにカタカタと鳴る窓枠
生き物のごとく自在に飛び回る湯煙
わずかに視界をねじりながら薄暗く通り抜ける廊下
そんな再生記録を持つ旅館も近頃、閉じられたと聞く。
秘湯・銘湯と呼ばれても時代は、ほのかなものに寛容ではなくなったのでしょうか。

Dscf9328旅先は消えつつも旅に終わりはない
誰でも生きている限りね

見えるものが消えていくのは寂しい
見えないものも見ることができなくなるから

宿は 川のせせらぎよりも静かにたたずみ
光をその身に染み込ませ続けている

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