2012年9月 1日 (土)

よくばりな犬

Zenkei

『よくばりな犬』

肉をくわえた犬が、橋を渡っていました。

ふと下を見ると
川の中にも肉をくわえた犬がいます。
犬はそれを見て、思いました。

「あいつの肉の方が、大きそうだ…」

犬は、くやしくてたまりません。

「そうだ、あいつをおどかして、あの肉を取ってやろう」

そこで犬は、川の中の犬に向かって思いっきり吠えました。

「ウゥー、ワン!!」

 そのとたん、くわえていた肉はポチャンと川の中に落ちてしまいました。

「ああー…」

川の中には、がっかりした犬の顔が映っています。
さっきの川の中の犬は、水に映った自分の顔だったのです。

同じ物を持っていても、人が持っている物の方が良く見えます。
そして、欲張ると結局自分が損をするという…これは、そんなお話。

Meetmist
ガタタタタン ガタタタタン…

顔を上げると
河川敷の藪の間の鉄橋を電車が走り抜けていくところだった。
暑い日が続いて、それはもう

「今年の冬は来ないんじゃないかな…」

なんて思う事もある。

けど季節は
人みたいに腰を上げるのを億劫がっていても
必ず仕事をこなしていくんだ。

春を憂いて 夏を凌いで 秋を祝って 冬に眠る
その光景を 意識・無意識に関わらず何度も見てきた。
見てきたはずなんだけど いつも季節の移ろいに心奪われる。

Tiltmeet

川原に大きな玉石がゴロゴロしている。
小学生の頃は 公園よりも川が主な遊び場で
たくさんの石を積み上げて川を塞き止めようとしてみたり
本気で石の家を作ろうとしてみたりした。

日射しが照りつける川原の石は攻撃的だ。
裸足で歩いていると足の裏がジリジリする。
それに歩きにくい…
思い出が風鈴の短冊のように風に泳ぐ。

Meetup 

「あれ…なんだろう?」

橋から見下ろした川原の景色になんだか違和感…

真っ赤な 真っ赤な 高級そうな霜降り肉
…みたいなレンガ製の遺物が2か所。

向こう側に見える鉄橋脚の先代だったのだろう。

完全撤去じゃなくて 大雑把に解体したらしく
土台だけが残されたみたいです。
ここは何度も通ったけど初めて気が付いた。。。

増水時の川水に洗われて角が取れたから
霜降りのステーキ肉みたいな感じがするね。

Canvas_2

そうだ
イソップ童話の「よくばり犬」が落とした肉が
川原に流れ着いたみたいにさぁ。。。

そんな感じしない?

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2012年8月21日 (火)

廃墟を活ける。③

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“廃墟” は 『滅び』 なのだろうか それとも 『死』 なのだろうか。

不老不死を望んで 返って死を早めた始皇帝という人が昔いたそうだね。

『国破れて山河あり…』 山や川は滅することなくそこに残る。

「山は死にますか─」 そんな歌を聴いた覚えがあるよ。

人は どこか不老不死を望みながら それはかなわぬことだとも悟っている。

だけど

手塚治虫の『火の鳥』

古いSF映画で『未来惑星ザルドス』という

不老不死の無意味さを説いたお話があるんだよね。

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小学生の頃だったか…

不思議なもの好きな友達が 友だちが『ムー』を毎月買っていて

興味本位で読んでたら おそろしい予言ばかり載っていたので

生きていくのに悲観的になっちゃったことがあったんだよ。

うーん…(゜_゜>) 物事をストレートに受け止めすぎるんだな。。。

そんな私が『廃墟好き』になっちゃって

これはいったいどうしたことなんだろうヽ(´o`; 

なぁんて思うこともあるよ(@^▽^@)

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興味はなかったにしても 『廃墟』に感動することって あるよね。

いつかは滅びの禍の中へ行くものの

嘆き あるいはただ静かに沈んでいく姿が

涙も 叫びも超越したようで

節操のない雑木にまみれながらも動じることなき遺構の姿。

そこに ホントに超越した神々しい何かを感じるのかもしれない。

生老病死の世の中に嘆いて

人々をその苦しみから救いたいと願ったお釈迦様も

終の日は 超越すべき 『死』 をただ静かに迎えたのだそうだ。

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『廃墟』 で感じる時間は とてもとても静かで 緩やかなんだ。

のんびり屋の私が そこを歩いていると

とてもセカセカしているように思えてくるんだよ。

なんだか寡黙に長時間露光している廃墟師匠が仙人に見えてきたよ。

哲学的というのは ひょっとすると こういうことなのかな…(・3・)

ちょっと そんなこと考えてみたりもする。

Tiltshift

そういえば この廃墟…

すこしばかり造作的なこの様子が哲学的にも見えたりするんだ。

白く朽ちるコンクリート そこにまつわり着く蔦

雑草に領地を犯させることなく 平に刈り込まれた芝

自らを誇示しすぎることなく 小さく花を点ける低木

そして蒼い空と そこを自在に泳ぐ雲

昨日と同じ空は無くて 今日流れていった雲には二度と会うこともない

季節は幾度も巡るようだけど

それは大きな輪っかなんかじゃなく ただただ繰り返す1本道

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さあて さあて

限りあるものの景色見上げて

これからどんな風に生ききってやろうかと思った。

廃墟は 決して滅びているのではなく

活けられている

私も そしてあなたも 活けられているのです

この盆景の上で他愛なく (#^.^#)

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                        そうなんだ

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2012年8月 7日 (火)

廃墟を活ける。②

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庭は「廃」がとても多い。

廃線の枕木はと元よりアンティークレンガや流木
今はあまり見なくなった木の電柱
使い古した椅子
欠けた水瓶 古い酒瓶 壊れかけた自転車 etc..

割れた鉢でさえも日曜ガーデナーは巧みに庭のアクセントにしてゆく。。。

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プロのガーデナーのデザインの影響もありますが
身近にある素材を利用するバリエーションは、その家々のセンスで如何様にも変幻するのです。
新しい命が「生」を
讃えて咲き誇る中、ひとつの香辛料として、その存在を置くことが返ってその場を更に映えさせるのかもしれません。

ポップアートや現代芸術の作家が生活(日常)に近しいものを素材とすることで現代社会を写しとるように庭においてはノスタルジアでありながらも更なるドラマチック性を持たせるために使っているように思えるのです。


意図的に あるいは無意識に 血の記憶も担って。。。

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廃墟も寒々しい雪原に佇む姿や
雪の重さに倒れた枯れススキに囲まれて
ただ乾いて、退廃的なイメージの冬から初春にかけての姿よりも
緑が産して遺構を覆い尽くさんとする景色…
コンクリートの古城の中、スポットライトのようにわずかな光が注ぎ込む光の中でひ弱ながら何か希望に満ちたかのように新芽が伸び上がる様子
私はそういうものが好きなのです。

Dsc07971もちろんそれは、人それぞれなことです。

それはそうなのだけれど
闇があって光は映える
涙があって喜びに感嘆する
寒々しい冬があるから春が萌えさかる


人に捨てられて、もしくは忘れられて「廃墟」です。
でも本当の意味での廃墟は、いかほどあるのだろう。。。
鉱夫が去った鉱山(ヤマ)、子どもの消えた学び舎
そして、くつろぎと癒しを人たちの来なくなったホテルや旅館。


ここにある廃墟もまたホテル跡です。
しかし、少しばかり様子が変って感じられたのは
その景色があまりにも造作的だったからでした。

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この廃墟は何らかの形で命を持たされているのです。

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2012年8月 1日 (水)

廃墟を活ける。 ①

海から、それほど離れてはいないのに
そこはもう、どこまでも続きそうな緑の海です。

深い渓谷も上から下まで緑一色で
まるで大海原がパックリと割れているようだ。

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海原の如き樹海に漂う切れた釣り糸のごとき道
頼りなき筋なれど、そこに沿うように進む小さな小さな車。
あるときは群れて またある時は孤独に浸りながら
その道へも緑色の汐はザワザワと打ち寄せる。

緑海の中、筋道がより所にするように浮島が点在する。

Dsc07944古きもの 新しきもの
覚えているもの 忘れたもの

見飽きたもの 目を引くもの

時の流れに磨かれて
光沢の光を放つものあれば
ただ削られていくばかりで
小さく惨めに干からびていくものもある。

写真と記憶は薄れていっても
思い出のあの場所は
むしろ色濃くなっていくんだよ。
思い出して欲しいのか
終の時目指してゆっくりと自らを作り替えていくみたい…

血のように赤く
血管のように筋目立たせて…


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疲れきって、魂が抜けたみたいに静かで、乾きすら超越した遺構に
それとは反対の
鮮やかに色づく命の象徴のような緑が包んでいく様は
傷を癒そうとするみたいにも感じられる。

緑の海の中
沈む船のように小さく見え隠れしている。
やがてあの赤い塔も 緑色の大きな屋根も樹海の中で本当の遺跡になるのだろうか。

景色が急に開けた。
すでに虫の息と思えるものがそこにありました。
それでも、どこか生き生きして見えることに
なにか
微妙なさじ加減に思えたのです。

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2012年5月12日 (土)

中村さんと海竜

Kaidanwind

日本という国は、太古の昔は、そのほとんどが海の底であったのだそうだ。
だからそんな遠い昔を偲ばせる…例えば大地でゆったり木の葉を食む巨大な首長竜や肉食恐竜が見つかることはほとんどない。
地殻の隆起で出来上がった山々の太古の地層の中から見つかる化石は、陸のものよりもむしろ、海のものが圧倒的に多いのはそういうことだかららしい。

Mado ここ、北海道むかわ町穂別(旧穂別町)にも9,500万~7,000万年前の太古の地層が隆起していて、そこからは海竜モササウルスやティロサウルスの骨格の一部の化石も見つかっている。
このモササウルスは調査の結果、新種と判明して「ホベツアラキリュウ(愛称:ホッピー)」と名付けられて全身復元の模型がむかわ町立穂別博物館ロビーに展示されています。
その博物館の向かいには、さらに地球創生の太古から現在、そして未来をたどる「穂別地球体験館」があり、私たちの乗る地球という大きな乗物の成り立ちを数十分で知ることができます。

Kamoi

街並みは、太古を髣髴とさせる恐竜のモニュメントをたくさん見ることができる。
だからこの街は、まるで恐竜の時代から現在へひとっ跳びしてきたみたいなのです。
中間を大雑把に飛ばしてしまった…そんな気にもなってしまうのですが、先ほどの博物館の隣には、その気持ちに似つかわしくない大きな旧家が目に入ります。

Photo

その建物は、穂別町(現むかわ町穂別)開拓の先駆者、中村平八郎さんの家で、大正10年から13年にかけて建築されました。

Hari 後に平八郎さんの長男・中村耕平さん(穂別村第7代村長・穂別町初代町長)が受け継いで、現在までに築80年を経過しています。

この立派な旧家もいつしか誰も住まない家になってしまったようですが、平成6年、耕平さんの奥さんが家を含む一帯の土地を町に寄贈しました。その時、すでに建物はかなり痛んでいました。でも、この建物は北海道開拓当時の「下見板張洋館住宅」の形を保っていること、大変骨太な造りで、造作に凝らない直線的な建物になっていること、内外部ともに広葉樹材を多用するなど材料の吟味や丁寧な施工がうかがうことができることから関係者の間で保存の議論が進み、文化庁の有形登文化財、第01-0034号の登録を受けて平成15年に現在地の町立博物館横に移築復元されました。

Irori 平屋建ての主屋を中核として、起り屋根(弓状に流れの中央部分が膨らんだ屋根)の玄関庇をもつ鉄板葺き屋根、片入母屋造り、切妻(屋根の最頂部の棟から地上に向かって二つの傾斜面が本を伏せたような山形の形状をした屋根)造り2階建て。和風と洋風の二つのイメージが見て取れる建築物です。
解体工事の際に屋根裏から棟梁の直筆の署名とともに施工から竣工までの詳細が記された記録(手板)も発見されたそうです。現在と違って建物は、受け渡しの商品というよりも請負の芸術作品という色合いが濃かったように思えます。

この家の初代主、穂別町開拓の先駆者でもある中村平八郎さんは、新潟県上越市高田城下の下小町で問屋を営んでいましたが明治24年、石油資源の調査のために来道。現在の穂別において良質の石油を発見しました。
中村さんも化石(化石燃料)と無縁ではなかったということですね。
そして、同26年に移住。石油業を17年続けたあと(石油資源枯渇?)農業・木炭業に転向。そのかたわら村役場の総代人・村会議員・農会の評議員などの役職も務めていました。

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Niwa 長男の耕平さんは、明治31年に誕生。大正期に渡欧し、各地を視察・酪農業の研修ののち帰町。村の要職を経て昭和31年に第7代村長に就任しました。

当時の穂別村は財政破綻状態で村の建て直しに心血を注ぎ4期16年務めました。その間の昭和37年に町制施行により「穂別町」となる。

Dsc07107 パンフレットに載る移築改修前の中村家住宅母屋は外観は保っているものの鬱蒼とした林の中の不気味な屋敷という印象ですが、造りが堅牢なためか外観をしっかりと保っていて施工の確かさが伺えます。
太古から未来を綴る化石に関わる町の歴史と、そこから近代的なヒトの時代への受け継ぎを証言する中村家屋敷は、単に古の暮らしを彷彿とさせる器としての展示物ではなく、今も町民文化サークルのギャラリーとして現役で利用されているとのことです。

どんな町へいっても古の時を刻んできた旧家を見かけるものですが、官のものと違い民のものは、年月と風雪に痛めつけられて朽ちるままのものがとても多い。
郷土史的背景があっても安全面への配慮から「解体やむなし」として見慣れた街の色から消えていくことは少なくないものです。
昭和という時代も懐かしむ反面、その名残さえもどんどん淘汰されていく。
残されたノスタルジアな気持ちは、どこかで借りてきたように画一化された美化した思い出と混同されて泥団子みたいになっていく。
それでもその泥団子、コロコロコロコロしていると、元の色もわからないくらいにキレイに輝いていくものなのです。
その輝きをみていると、必死になってコロコロしていた苦労、リアルに通り過ぎてきた苦難なんてホントは他愛のないものなのかもしれません。
今「昭和」が輝くのは、そういう苦労から培われてきたからこそ輝いて見えるもの…

Shiftnakamuraside

そう 苦労も悲しみも涙も 時に磨かれてきたから 輝くものになるのです。
数え切れないくらい何度も行き来した床が輝くのも
そうして磨き上げたからなのでしょう。

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2012年1月15日 (日)

ぼっちの凸

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 北海道帯広市 むしろ十勝と言ったほうが北海道外の方には通じるようですが、十勝の中心都市です。
 この帯広市の西部に大きな植樹林と運動施設の広がる『帯広の森』がある。
かつては、市郊外と同じく畑作風景の広がる土地でしたが、数十年の時を経て現在の形になりました。

Photo_2  「帯広の森」の構想は、第五代市長の吉村氏が提唱。昭和34年に策定した市総合計画のなかでは、グリーンベルト的な考えが包含されていました。

 昭和44年、市長がオーストリアを訪問し、そこで『ウィーンの森』に出会ったことから「帯広の森」の構想が具体化する。広大なウィーンの森とそれに共生するウィーン市民に大きな感銘を受け、昭和45年に帯広市第2期総合計画策定審議会を発足させ、「帯広の森」構想を発表しました。 そして、昭和46年4月に策定された第2期帯広市総合計画において、「森」はまちづくりの主要な施策として明確に決定されました。その後、市議会での激しい論争、市民の気運の高まりなどを経て、事業がスタートしました。

 現在の形になった森は面積406.5ヘクタール、幅が約550メートル、延長は11キロメートルの規模で、北部を流れる十勝川や東部を流れる札内川と連携して市街地を包み込むように配置され、憩いの場、学習の場、交流の場、スポーツの場などとして、多くの市民に幅広く利用されています。
 昭和50年から市民植樹祭を開催し、平成16年まで30回、14万8千人が参加で23万本を植樹、平成3年からは育樹祭も開催、平成17年までに15回、のべ1万3千人が参加。

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Photo_4  初期の植樹林は、すでに大きく成長して、まさに森にふさわしい様相になりました。
林の中に設けられた遊歩道は、夏場のウオーキングや犬の散歩、冬は、トライアスロンスキー等で体力づくりの人たちが耐えません。
木漏れ日を浴びながら歩いていくと、時折バラバラとヘリコプターの音がしてくる。
森の切れる向こうには自衛隊の飛行場があるからです。
この飛行場、以前は市の空港でしたが、歴史を遡ると日本軍の飛行場であったそうです。

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 現在は森となった植林地ですが、ひと昔前は、まだ畑で昭和56年頃の空中写真を見ると一帯は、まだパッチワークのような景色の畑作地。植林は始まっていた頃とはいっても森といえる部分は乏しい。
戦後に飛行場周辺の土地は、民間に払い下げられ、1974年頃、森の構想で買い上げられるまで実りの大地となっていた。

そこにこの『掩体壕(えんたいごう)』がある。戦時中は全部で46基あったという。

Map

 掩体壕は、主に航空機(戦闘機)を敵の攻撃から守るための格納庫で、通常は、コンクリート製のかまぼこ型をしており、内部に航空機を収納する。簡易なものは爆風・破片除けの土堤のみで、天井がないものもある。
 ここの壕は小型のもので、翼を広げた飛行機がすっぽり入る凸型をしている。
十勝管内で掩体壕と呼ばれるものはいくつか残っていますが、飛行機ではなく軍事物資格納用に高台下に掘られた洞穴のようなものがほとんどで、飛行機用のトーチカを思わせる構造物は始めて見た。

A

 この土地を所有していた方は、入植当初、この壕に木材で屋根を取り付けて住み、住居を建てた後も壕を倉庫として利用し続けて取り壊さなかったそうだ。
実際、46基あったものは、耕作のジャマになるためにほとんどが破壊された。
当時は屋根の跡と思われる鉄骨があったほか、中央部に車輪が通った跡もあり、実際に飛行機が格納されていたらしい。

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 -17℃を下回る今シーズンの最低気温の朝、掩体壕を見に来た。
脇の幹線道路を通る通勤の車から壕は明らかに視界に入るはずだけど誰も目もくれない。
広い空と広い大地。そこにまんべんなく降り積もる雪。
そして憩いの森。

のんびりできそうな要素は充分にそろっていても、人々はとても忙しいのだ。

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2011年5月 5日 (木)

ヘンゼルとグレーテル② 「ヒダル」

Castele

【前回までのあらすじ】

 ナギサは女の子の幽霊。なりきれてない感で自称、半人前の幽霊。
生前は、海の街で暮らす海の大好きな子でしたが、運命は日、彼女を『想い』だけの存在にしてしまいました。両親には声も姿もわからず、やがて彼女を残して家からも去ってしまった。
 行くところもなく、一人そこで暮らしていたナギサは、人から姿を見られることもあり、幽霊騒ぎが起きたことから人嫌いになり家に引きこもるように。多感な年頃のナギサは外の世界に憧れながらも日陰で暮らさねばならなくなった…

ある日、棟続きの家にカズヒロという男の子が越してきて、ひょんなことから押入れの穴越しに付き合うようになる。不思議にも彼にはナギサは普通に生きている子となにひとつ変わらないように見えていた。
 ナギサにも数年ぶりに楽しい日々が訪れたようだが、カズヒロは両親の都合で再び引っ越さねばならなくなってしまった。
再会の約束をしながらもナギサは、また暗がりでひとりぼっち。

 ある嵐の夜、強い風は家の屋根を壊してしまい、引きこもりの暮らしも続けられなくなってきた。
おりしも近所で起こった身に覚えの無い幽霊騒ぎ。様子を伺いに行ったナギサは、風に乗っていろいろな海を旅する幽霊に出会い、風に乗る方法を教わった。

 そうしてナギサの旅は始まったのですが、人の目が怖い彼女の旅は、自然と行き先が『時が残した忘れ形見』の旅になったようです。
 その旅の道中に出会った石地蔵の魂『コロン(石ころなのでナギサがコロンと名付ける)』という旅の道連れもできましたが、ナギサと正反対で“人間観察”の大好きなコロンをなだめるのに毎度ひと苦労…

 今日も一夜の宿として空から見つけた森の中に佇む廃墟へやってきたのですが、なにやらいつもと違い大きくて奇妙な感じのするところのようです。
そこでナギサは、うっかりエレベーターホールから階下に転落。コロンのいる上へ戻ろうとしていたところ、先にコロンの元には怪しい人影が現れていた…

イーッヒッヒッヒ… い?

Nagisaloftup
「あれ… コロンいない… どこ行ったの?」

上へ戻るとき、ちょっと驚かせてみようと企んでたのに、入れ違いにコロンは下に降りていったみたいだ。戻るって言ったのに…

『コローン コロコローッ 私、ここだよーっ』

Nagisawake 返事がない。
屋上に行ったのだろうか…まさか勝手に表へは行ってないだろうなぁ…
それにしても返事くらいできるだろうに

まてよお…コロンも私を驚かそうとしてしてるんじゃ… そんなとこあるからなぁ。
よし!そうはいかないぞ。 まだ外も明るいし、受けてやろうじゃないか!
回りを気にしないフリをしながらも細心の注意で探すことにしよう。

作りかけで止まってしまったみたいな建物。命が入っていないようで静かだ。
建物の命はいつ入るのだろう…
鉄や石や木や、そのほかいろいろなもので作られたお城。
大きな体を形作る部品は、またそれぞれ命を持って、別な心も持って、ひとつの建物として完成した時、初めて建物としての心になるのだろうか。
私が話してきた建物や橋や、いろんなものたちは「その形として」の心を持っていた。でも、その以前もそれから先のことも、どうなっていくのかよくわからない。

Monster

 そういえば、コロンも始めからコロンじゃなくて大きな石の一部だったということを聞いたことがあった。
それが割れて、小さくなって、小さなひとかたまりになったときに初めて『コロン』という心が目覚めたらしい。
ひとつの体があって、ひとつの命がある人もまた、同じじゃないだろうかと思うことがある。

 元は、何か大きなもののホンの一部で、そこから「私」という欠片が落ちることが誕生というものなのだろう。
今こうして「この世」にとどまるための器を失った欠片。それでも私はまだ私なんだ。

いつか、今の私がもっと小さいものになるか、大きなもののひとつになることで「私」という存在が残っていても別なものとして変っていくのかもしれない。

そういう覚悟は、いつかしないとならないだろう…

Nagisa_up

抜け殻になった建物(体) 抜け出てしまった私

私は、まだ「私」のまま。
体のない半人前な存在の私。 それが「私」

ひとりになると、そんなことを考えてしまう。
このまま何も変らないで、何にもならないでズーッと旅しているけど
こんな日もいつか、終わらせる日が来るんだろうなぁ…
私がこの世界に留まっていこと。それが「迷い」ということのか…。

『幽霊』って、きっとそういうものなんだろう…

えーいっ!ダメだ!ダメだ!
そんなこと考えてるから、コロンに言われるんだ。

『ナギサーン!ひきこもりぁダメですらにぃ。もっと明るくに出りませんとなぁ』

そうだ!コロンを探してたんだ…

 

 

 

一方、海を隔てた向こう側の町。カズヒロは、居候の幽霊に大変うんざりしていた。

Mtbook

「山は良いところよーっ。君も登ってみればいいのに…」

「あんたがそれを言うわけ?」

「私? なにが? どうして?」

「…だって…山で…」

「…そうよ。山で死んだよ。でも、だからって山が鬼ってことにはならないじゃない…」

「だけどさ…なんつーか…説得に欠けるじゃないか」

「ああ!そっか!…だよね。山で遭難した私の言うことじゃないよね。ハハハ…。でも、あれは私の不注意なんだし、いまさらどうこう言ってもねぇ…」

Wm0010  数ヶ月前から、この幽霊にとり憑かれている。
生前は大学の山岳部員で、登山中の事故で亡くなったそうだ。
捜索では見つけてもらえなかったらしい…。
自力(?)で戻ったその家も、すでに空家になるほど年月が流れて、行き場を無くしてたところに通りかかったのが俺らしい。
始めは、怖いというか、驚いたというか、信じられない気持ちで呆然としていたけど、もう慣れた。
慣れたというよりあきらめたというべきだろうか…

いや!あきらめるもんか! 四六時中傍にいて、やることなすこと全部見られているのは、もうガマンできない。

「別に君をとり殺すつもりなんて全然ないよ。それで私がなにか得するわけでもないしさ…。行き先ができたらちゃんと離れるから、それまで一緒にいさせてよ…。ね?」

断ると、それこそ逆恨みでとり殺されるような気がして嫌とは言えなかった。
選ぶ選ばないというよりこれは、暗黙の強制みたいだ…

「カズ?近頃、食欲ないの?なんだか疲れてるみたいよ」

母さんも言ってた。
やっぱり、やつれて見えるんだろうな。
そりゃそうだよ。いつも幽霊が傍にいるんだから。
言っても信じてくれないだろうけど、寝てるときも 学校に行くときも トイレの中だって…

「ねえまだ終わらないのこんな狭いところじゃ落ち着かない

「なら外に行っててくれよ!出るものも出やしないじゃないか!」

「照れてるの? カワイイ…」

Wm0016 そういう問題じゃないって…!
そもそも幽霊なんてのは、なんていうか、狭くて薄暗いところにいるもんだろ。
しかし…この調子じゃ、やつれてくるのも無理ないな…いつも見張られてるみたいで充分ストレスだ。
幽霊に取り憑かれるっていうのは、たぶんこういうことなんだろう。
「恨み」とか「呪い」ってのは、今はよくわかんないけどさ…

「ところで“ヒダル”…」

「だから私の名前は“ヒカル”

幽霊の名は「ヒカル」という。
それを「ヒダル」と聞き違えただけで、すごくムッとしてた。

「ヒダルって“大台ケ原”あたりに出るやつでしょ。伝説ににでてくる妖怪でさ、入山した人に取り憑いて衰弱死させるんだとか…怖いよねぇ…」

※三重県と奈良県の県境にある標高1400~1600の大地。山中で突然の脱力感や体に重みを感じることがあり歩くこともできなくなるという。火山ガスの影響が考えられたが火山は存在しない場所である。調査により、森林内の枯葉などの堆積物が腐敗する過程に発生する二酸化炭素説が有力。「大台ケ原」の場合、有機物の存在・暖かい気温・湿度など二酸化炭素の発生する要因が整っていることが判明している。これは、大台ケ原に限ったことではなく、季節により日本全国で同様のことは起こりうる。二酸化炭素を大量に吸い込むと心拍数の増大、脱力感、意識障害など中毒症状が現れるため、登山の際は窪地などガスの溜まりやすいところでは注意が必要。また単独登山も避けるべきである。

 

 

それじゃアンタそのまんまじゃないか…と思うけど…冗談でも言えない。
ホントに殺されちゃかなわないから。
でも、嫌味を込めて、いつも間違えたフリで“ヒダル”と呼んでる。
いつもそうだとさすがの幽霊でもあきらめが付くのか“ヒダル”で返事するようになった。

Hol 「ヒダル?なんで、よりによって俺にくっ付いてるのさ?中学生の俺にさ」

「うーん…なんとなく、つかまりやすい人がわかるのかな…。そう!アサリみたいな感じで」

「アサリ

「水に漬けたアサリみたいに白いのを出しててさ。いつもじゃないけどね。 それがあると私はつかまって行けるの。多くの人はいつもピッタリ口を閉じてるから、私も無理。ここまで戻ってこられたのも、そうして人を渡り歩いて来たからだよ」

「舌って…そんなのをだらしなく出してるわけなのかい」

「違うってそれが「霊感」っていうものなんだよ。霊が絡みつきやすいものなんだよ。君はそういうところが優れているよ」

…なんだ、それって褒められてるわけ?

「じゃあ、もっと役に立ちそうなのに乗り換えてくれればいいじゃないか。霊能者みたいなのとかさ」

「ところが、お寺とかにも寄ってみたけどさぁ、そんな人が都合よくどこにでもいるわけじゃないのさ。山から町まで降りてきてもここに来るまで何年も足止めになったんだし」

「でもさ、俺に取り憑いたって何もできないよ」

「確かに、中学生じゃねぇ…。だけど、こうして話までできたのは君が始めてよ。…君さ、前にもこういうことあったんじゃないの?」

「前にって…取り憑かれたこと? ないよ

「気づかなかっただけじゃないの? 私はわかるよ。君にはそんな匂いがある…」

「えっ?どんな匂い?」

「いやぁ頭悪いよね“匂い”ていうのは例え

ヒダルはそう言うけど、幽霊と知り合ったことなんか、ただの一度だってない! なかったはずだ…

 

 

 

Syata

「コローンあれぇ…ホントどこいっちゃったのかなぁ…」

あちこち探した。 ずいぶん探した。
古い鍋や壁の穴まで覗いてきたけれどコロンは、どこにもいる様子がない。
この建物は大きすぎるんだな…。
いよいよとなったら「線」を延ばして建物全体を探るしかないか…。
それだと、このゲームのルールにはインチキだろうけど。

わあっ ビックリしたコロン~っ!どこ行ってたの?」

Nagisastan 「…」

「コロンも人…いや、石が悪いよぉっ。 たしかに私の負けだけどさ」

「…」

「…?」

あれ?怒ってるのかな…?私、何か悪いことした?

「ねぇ…コロン… まだ外は明るいし、近くの街まで行ってこようか…」

「…」

「違うコロンじゃない…あなた…いったい誰

Gosthand4th

『うわぁっ

たくさんの手に捕まれて
私の体は、グリグリ コネコネ粘土みたいに千切られそうになったり、丸められたり…
なんとか逃げようとしたけれど、すぐに何がなんだかわけが分からなくなった。

 

 

気がつくと─錆だらけの狭い部屋にいた…

「あや?ナギサン お目覚めしたすか。お早な到着でしなやぁ!」

「あっコロン やっぱり、あれコロンじゃなかったんだよかったぁ

「ナギサン、あやつらがあてに見えましたのだか?」

「いや…そうじゃなくて…えーと…ゴメン…。 それよか何なの、あの人なにも悪いことしてないのに、こんなとこに詰め込んでぇ…もしかして勝手にここに入ってきたから?」

「あっしも良ぉわかりしませんなだぁ」

「面倒だし、こっそり出てこうよ。今ならいないみたいだし、こんな隙間だらけのとこならすぐに逃げられるよ」

「どやかなぁ…あては無理やぁて思いしまはるよ」

「大丈夫。ちょっと様子を見てくる」

ホントのところアイツがなんなのかはどうでもいい。
めんどうなことからは、できるだけ早いうちに逃れるべきだ…
少なくともこんなところに押し込められたんじゃ、相手が善人とは思えないから。

Nagisaesc5

「ナギサン?どなでしかな?」

大丈夫みたい。今はいな… わっ ち、ちょっと待ってお願い私の話聞いてやめてやめてヤメテーっ

Nagidango

「ナギサン、大ジョブか? えらい早いこったんなぁ…」

「あぅ…ナギサン…もうダメぇ…」

 卵の中に入れられて振り回されたみたいに、もうフラフラだった。
なんだか、すごく面倒なことになったのみたいだ。
どうしようかとゴチャゴチャな頭で考えてたら、ずっと前に読んだ『ヘンデルとグレーテル』のお話がよぎってくる。

森で迷った兄妹が見つけたお菓子の家は、恐ろしい魔女の家で、捕まって食べられそうになるというお話。
私とコロンもあいつに食べられてしまうのかなぁ…

Glow

そう思うと、なんだか悲しくなってきた…

                             (つづく)

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2010年11月28日 (日)

ヘンゼルとグレーテル ①

           「わーっとっとっとと…」

Dscf4911

「ナギサーン…危い着陸だしな。落りゃあ石ころかて粉々になりるやす」

「そ…そんなこと言ったってさ…こんな小さいところに降りるの大変なんだよーっ」

「そんに小さなとこすかなぁ…」

私はナギサ。名乗るほどでもない普通の幽霊の女の子。
風に乗って、あちこちへと風任せの旅をしている。
今日は、たくさんの木が生い茂る緑の海をなぞりながらここまで来た。

Dscf49082

もうじき日が暮れてくるから泊まるところを探してた。ずーっと樹海を越えて。
近くに街も見えたけれど、人のこないこういうところで適当なところを探すのは大変だ…。今日のところはうまく見つかったけど、森の中に野宿することになるとイタズラなキツネや腹ペコなクマにからかわれることになるから、それは避けたい。
やっぱり屋根や壁のある建物の中のほうが落ち着くことができる。

「今日のとこわ、ここになりあすか?」

「うん…ほかにいいところも見当たらないしね」

「さきほどな、街が見えられたんだがに」

「それは…コロンは、いいけどさ…」

Dscf4897 コロンは海沿いの町で出会ったお地蔵様の彫られた石の魂。コロンの名前は私が付けた。
それから一緒に旅をしている。

「人間観察」マニアのコロンと私は正反対。
そのコロンは、人から姿を見られることはないけど、私はチラチラ見られることがあるから嫌なんだ。

体があると普通の人。無くなれば怖い幽霊。
人にとって『死』は恐れに他ならないから、その向こう側のものであるべき私は、まだ生きている人から見ると『恐ろしいもの』でしかないのだろう。
それでも私は、ずっとこちら側にいる。まだこっち側にいなければならないんだ。
だから、なるべく『こちら側のルール』に従わなければならないのだと思う。
私は幽霊なんだから…

「ナギサン、人目辛いなんだば人にさ化ければ良しなに?」

「うーん…じゃ明日ね。明日なら少し良いよ…。久しぶりだし少しくらいなら」

こんな私にも数時間だけ生きている人と同じ姿になることができる力がある。
でも、たった数時間ほどしかその体のままでいられない。

春の大地から立ち上る陽炎

夏の朝、深く吐き出された木々の深呼吸

秋の実りから立ち上る豊かな収穫の芳香

そして冬の陽射しの中できらめく氷の粒

そんな、この地上に溢れる「体を作る元」を寄せ集めて作り上げた借り物の体にすぎないから…。

Dscf4788

「わかりったましてや。しかし此処なは大きな根城に見えしです」

「うん。たしかに大きいとこだよ。学校じゃなさそうだし病院かホテルの感じだよね…」

「ナギサン。さっき小さいとこや言ったやねすか?」

「だからあっそれは、そらから見たときの事だって」

「そうでしか?こんだら大きいと下にゃ誰か居るのやもしれねすな」

「うん…そだね。いちお調べておいたほうがいいかも…」

木立が傍まで迫って支えられているみたいな建物。
空から見おろしたときは、滑走路みたいだったけれど、意外と高い建物だったんだ。
いつもは空家とか、橋の下やマンホールなので、こんな大きなところも久しぶりで、まだ少し落ち着けない。
屋上のあちこちは、棘みたいな太い針金がたくさん張り出していて、樹の海に浮かぶ武装した船のようだ。
その異様な感じが落ち着けない原因のひとつなのだと思う。

Colon_jump

「ナギサーン!下は、何しろメイロみたなようでな。あてらは先ん行っておりましすから!」

「えっあっちょっと待ってよコロン

人がいるかもしれないという私にとっての不安は、コロンにとって期待らしく、ホイホイ下へ降りていった。
風に乗るときは私の左腕に腕時計の姿でしがみ付いてるだけなのに…
私も用心しつつ後を追う…。

Dscf4923

あちこちからサボテンみたいに棘を生やした薄っぺらな階段を降りる。
コロンはどこまで行ったのかな…
ふたりでの旅も長いから1人になると不安になってくる。
幽霊になってから、ずーっと孤独だったときは何とも思わなくなってたけど、やはり孤独は辛い。
人に見られるのが辛いと言いながら、人の香りが残る場所の近くをさまよう私は、やっぱり寂しいんだろう。
どうせだったら、人と幽霊が共存できる世の中にならないかなぁ…と思うこともあるけど、そんなことを考えてしまう自分に少し笑った…。

Dscf4927 「ナギサン!遅いますや。でかいナリしてるに、なにやら細げぇとこだねや」

ところどころに光の溜まり場を作りながら奥まで真っ直ぐ続く廊下が見えた。

「わーっ、やっぱりホテルみたいだねもしかしたら病院かもしれないけど…

「なにげで細く分けとりますねや?」

「このひとつひとつが部屋なんだよ。たぶん」

でも、それにしては。まだ何か不思議に殺風景な気がしてた。

「ここなの赤い書いたらありますのは何やでナギサン?」

「これは…字と違うよ。なにかの記号だよ。意味は分からないけど…」

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「人はここだで何しますのかいな?」

「何って…旅行だよ。旅の途中で休んだり寝たりする場所」

「人さは寝ないとそんなにダメんなになりにか?」

「そう…休ませてあげないと弱ってしまうよ。私も夜は毎日眠くなってたよ」

「そらメンドなものでしな。ホンに人は不思議にゃモンでだなよ」

Dscf4930

廊下の左右にある部屋を順に覗きながら、ふと思い出したことがある。

まだ、自分の体があった頃。
こんな風に大きくて、部屋のたくさんあるホテルか温泉に泊まった時のこと─
自動販売機までジュースを買いに行ったら帰りに部屋がわからなくなったことがあった。
全部同じドアで、開けてみたら掃除道具入れだったりして…???!

そうだ…ドアだよ!

「コロン?ここの部屋にはドアのあるところがひとつもないみたいだよ

「そうなすか?あては、ども思いやしまへんねやが」

ドアに気が付くと、他のいろんなことにも気が付いてきた。
壁がみんな剥きだしの冷たいコンクリートのままで、壁紙がはがされた様子もない。
部屋の中もガラスの欠片が散らばっていないから、ずっと前から窓は入っていなかったような感じがする。

Nagisa_on_room

「ねぇ…?古くなってるようだけど、ここ作りかけなんじゃないかなぁ…」

「そすかな。あそこんらには誰か住んどた跡んもあるましたにが?」

Dscf4817 「えっホント

コロンの言ってた部屋には、確かに鍋とか料理に使ったものが転がってる。
埃を被っているので、しばらく前の名残ではあるようだ。

(でも、用心しないと…誰かがいるのかもしれない)

映画の主役になったような気がしてきた。
姿の見えない敵を探して部屋をひとつ、またひとつと確認していく…
こんな大きな建物に来たのは、やっぱり面倒だったかもしれない。
そう思いつつ私もこのゲームにはまり込んでいた…。

Dscf4918 「あれゃ?ナギサン?どこ行きはりましたいなぁっ?」

「シッ!こっちだよ… あっわわわぁあーっ

「なしたか?ナギサン?ナギサン!」

「こっちだよ~っ」

「どっちこでか?あれぁ?ナギサンそんなだとこで何してるだか?」

「落ちたーっ…」

あ~っもうゲームオーバーか…。死ぬかと思った…。(幽霊だけど)

こっちを見下ろしているコロンの顔がすごく小さく見えた。3階分くらい落ちたんだな…
どうやら入ったのがエレベーターの部屋にだったらしい。
やはり作りかけの建物だったようでエレベーターの箱もなかった。

「あても、そこいらに落ちたほがいいですかーっ?」

「いやっいいよぉっ私がそっちに戻るから」

「そこいらはどのようになるてますか?」

「そっちと同じだと思うよ…上よりは広いみたいだけど。階段…どこだろ…」

Nagisa_stand

ここは一番下の階で広く見えるのはロビーだかららしく、さっきの階よりも天井が高い。
湿った泥の流れ込んだ床は動物の足跡に混じって人の靴跡もいくつかあった。
ドキッとしたけれど、そのいずれも新しいものではないようで、人がしばらく来ていないらしいのは、わかる…。

「ナギサンも奇特しはりにますなぁ…」

Colonback3

「あや?ヌシはどちらのモノでっか?」

                                (つづく)

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2010年10月 3日 (日)

大きな石を見てきた

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大きな石を見てきた。

石といっても長さ6メートル、重さ200tもあるらしい。石というよりも岩だ。
この岩は、もう少し奥地の岩盤から切り取られてここまで運ばれたという。

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北海道沙流川郡日高町
国道274号線と237号線が交差する内陸の市街地。
山間の街というよりも町の際まで山が攻めこんでいるような景観。
でも、ここに暮らす人々にとって、この神々しい山は、母なる故郷の山に他ならないだろう。

Dscf8107 この地に北海道開拓と農業者育成に貢献した型破りな男が通っていたそうだ。
それが北海道農業専門学校(八紘学園)の創立者で初代理事長である栗林元二郎(1896-1977)氏。

元二郎氏は秋田県稲川町の農家の次男として生まれる。しかし時代は長男が家督を継ぐため、次男以下は、土地も与えられず農業を志すのは、とても難しかった。
そこで元二郎氏は、同じ身の上の次男・三男を集めて北海道開拓に渡ってきた。
北海道庁との契約で5年で一定面積の開墾が完了すれば自分の土地が手に入るという。
そうしてやってきたのが現在の十勝の芽室町上美生(かみびせい)。しかし、広大な原生林を目の当たりにした仲間はあまりの広さに怖気づいてしまう。

「広すぎる。きっと無理だ…」

その様子を感じ取った元二郎は、徹底的な共同作業と自らも1日20時間労働で開墾に満身。馬耕技術も3日で身に付ける頑張り様。
みるみる広がる真っ黒な開墾地…その景色に皆、自信を深めたそうです。

そうして元二郎氏は、5年の契約を3年で完了。これが北海道庁に認められ元二郎氏は功労賞を受けられました。その後、元二郎氏自信は農業を営まず北海道の移民招致の仕事をするようになりました。
その頃から農業を志せど土地を持てず萎んでいくだけの二男・三男。また、農業の実体験を持てども近代化の波に乗ることのできない日本農業を憂い、農業学園の夢を抱き始めました。それが現在の「北海道農業専門学校 八紘学園」の礎となりました。

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Dscf8106 そんな元二郎氏とこの巨石が、どうも結びつかない。
功績ばかりが取り上げられるため、あまり知る機会がありませんが、氏は鉱石収集を趣味としており、札幌市豊平区月寒東の八紘学園敷地内にある旧栗林邸にはその収集で集められた大きな銘石で築かれた石庭があります。(年に1度花菖蒲園公開時に一般開放)
その氏が1965年頃から日高山脈の銘石を掘り出すために日高町千栄地区に通っていました。
国道274号線を帯広方面に向かい、日高市街を越えた道沿いに巨大な庭石やそれらの石の販売店が目に付く。それらの多くが「日高石」と呼ばれているものです。この名は日高で産出する“銘石”としての名称で、やや青みがかったこの岩石は、学術的には石英片岩といい、岩石が地中深くの高圧下の変成作用を受けてできた変成岩です。
一定方向に割れやすい片理面や、これが複雑にうねる微褶曲構造が見られる。もとの岩石は一様なものではなく、白っぽくて堆積構造の見える部分は泥岩に、青っぽい部分は砂岩に由来すると思われます。また、緑色がかった玄武岩片も含まれています。

Dscf8100 元二郎氏は、千呂露(チロロ)川支流ペンケユクトラシナイ沢から200tにおよぶ巨石をとり、沢口まで運びました。ところが下流にかかる橋の重量制限が問題になり、この場所から運び出す計画は頓挫。それ以後は運ぶことはせず、日高町に寄贈されました。
これが現在も残る「チロロの巨石」。
これが、切り出されたものとしては国内最大の結晶片岩といわれるそうです。

山間の草原。その景色の中で一見不似合いな巨石。
栗林元二郎という人の大きさと、大昔から日高山脈に住むといわれる竜神の伝説が相まって不思議で雄大な景観を作り出しています。
札幌の石庭に並ぶことはできなかったけれど、これはこれで完成した眺めのような気がしてきた…。

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石は、想像を絶するほど大きい。
その石も周囲の山からすれば、とても“ちっぽけ”であるかもしれない。
その“ちっぽけ”な石に想像を絶する自分は、もっともっと“ちっぽけ”です。
だから自分自身もその力も“ちっぽけ”と信じるだろう。
でも、自分を“ちっぽけ”とは微塵も考えなかった人がいて
偉大なる山の片鱗を引き剥がして、ここに置きました。

“ちっぽけ”でもできることがあるのです。
“ちっぽけ”だからできることがあったのです。

自分のすることが“ちっぽけ”なんじゃなく
“ちっぽけ”と思う自分が、それを“ちっぽけ”なことにしてしまう

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石は、その想いを記録した記憶メディアとして
ここでログインする人を待ち続けている。

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2010年9月12日 (日)

見通せる壁

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壁は空間を小分けするものだ。
そして社会を細分化していくものにも思える。

空間の分割は、そこに隣とは異質な空間を形成することを可能にする。

凍てつく夜に春を置き、酷暑の日向も軽くする
漆黒の夜を光で照らし 雲ひとつ無い青空の下、影を閉じ込める

土の壁 石の壁 レンガの壁 コンクリートの壁 鉄板の壁

壁は塗り固めて具象化した構造物だけではなく
個々の心の中にも壁ができる。

何者も通さぬ壁 選んだものだけを通す壁
自分を幽閉するための壁 本当の自分を晒さないための壁

比喩的にあらわされる壁は
信念の強さと自分の弱さと、両極端なものになる。
とにかく壁は、中のものか外のもののいずれかを守ることに代わりはないようだ。

ここにひとつの壁がある。
かつて産炭地として賑わった町の追憶の壁
大きな鉱床のあちこちに開けられた穴の中、壁が築かれ崩した壁を地上に掘りあげる。
地上にも多くの壁を持つ施設が作られて、掘り出した壁を分類して壁の中に格納して運ぶ。

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壁はまた壁を運び、新しい壁を築く
小さな壁の群れが石畳のように地上を埋めていく
壁は時代を作り、歴史を壁のごとく積み上げていった。

高く高くなった壁、やがてその高さゆえに崩れるがごとく全てを丸め込んで小さくなった。
具象化した壁はその意義を失い、新たな時代の壁を築くために開放され、あるいは古の壁として緑の壁の奥深く幽閉される。

失われた壁は、全て新しい壁に取って代わられたわけではなく、そのなかで暮らした人々の記憶を固定する器として生き続けた。

記憶を守る壁 想い出を格納する壁 悪夢を隔離する壁

失った壁 手に入れた壁
己を失った壁がゲシュタルト崩壊していく…

この壁は記憶の蓋ではない。
元は四角四面の壁を持つ選炭施設の壁の1枚だったそうだ。
町の歴史を振り返る人にとってこの壁は記憶の壁を開くための白昼幻灯機のスクリーンなのかもしれない。

そう、劇場のスクリーンも壁だ。
壁は、その向こうにある何かを見えなくするものではなく、むしろその向こうにあるものを実感させるものに他ならない。

きっとそうなんだと思う。

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北海道東の採炭の歴史は北海道内でも古く「開拓使事業報告」という記録によると、安政3年、幕府が初めて獺津内(オソツナイ)の石炭をほりはじめたのが始まりとされる。
当時はまだ「石炭」という言葉がなく、「媒炭(ばいたん)」と書かれていたそうだ。

本格的に石炭が掘られるようになるのは安政4年、箱館(函館)に来る外国船の要望に応じるためであり、また箱館奉行も鉱物の精製のために石炭による燃料確保を求めていたからである。

やがて採炭地が岩内の茅沼へ移され、白糠の採炭は元治元年(1864)に中止されることとなる。
この幕府の採炭はみずから消費するのではなく流通商品として売買されるものであった。実際の炭田の開発は明治20年、硫黄の製錬の燃料、輸送の汽車・汽船の動力源として産業資本により進められた。

新白糠炭鉱は、昭和21年、再び石炭資源が脚光を浴び、現在の通称『石炭岬(実際には「石炭崎」と呼ぶ)』の鉱脈を採炭するため営業をはじめ、昭和39年まで採炭が続けられた。

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現在、白糠町で産炭地を記念して操業時の選炭場の壁に碑板を埋め込んだ『新白糠炭鉱創操業地記念碑』(平成8年)を建立した。

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